臨済宗の開祖である栄西が建立し、京都で最も古い禅寺である建仁寺は、京都の中心地の賑やかな場所にある。観光客でいっぱいの花見小路の抜けると建仁寺の裏門になっている。境内に足を踏み入れると、さきほどの喧騒が嘘のように静寂となり、建仁寺の伽藍が広がる。
二度にわたり入宋した栄西は天台山万年寺の虚庵懐敞(きあんえしょう)に禅を学び、1191(建久2)年に臨済宗を広める許可を得て帰国。源頼家の支援を得て、建てた禅寺だが、創建当初は禅宗の布教に反対が強く、台・密・禅の三宗兼修の寺であった。禅専修の寺となるには、それからしばらく時間がかかる。
建仁寺には見どころが多い。誰もが知っている俵屋宗達作の風神雷神図屏風。現代の庭師北山安夫による方丈庭園「潮音庭」は初夏の新緑、夏の深緑、秋の燃えるような紅葉、冬の枯れ枝というように一年中、美しい姿を楽しむことができる。また法堂天井に描かれている小泉淳作による双龍図は平成に入ってからの作品ではあるが迫力があり見応えがある。
建仁寺は喧騒と静寂。古いものと新しいものが調和された京都屈指の名刹である。
宗派 | 臨済宗建仁寺派 |
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創建 | 1202(建仁2)年 |
価格 | 一般 :500円 中高生:300円 |
住所 | 京都市東山区大和大路通四条下る小松町 |
TEL | 075-561-6363 |
定休日 | 12月28日~12月31日は拝観休止 |
営業時間 | 10:00~16:30(3月1日~10月31日) 10:00~16:00(11月1日~2月28日) |
URL | ホームページ |
建仁寺は1202(建仁2)年、栄西が源頼家から六波羅探題に接する地を与えられ建立した寺で、京都でもっとも古い禅寺である。中国百丈山を模した伽藍の竣工は3年後で、竣工と同時に官寺として認められた。
建仁寺の開祖である栄西は備中国(岡山県)の吉備津神社の神官の子として生まれ、吉備津神社に近い安養寺の静心(じょうしん)という僧に学んだあと延暦寺で修行を積んだ。その後、二度にわたり入宋した栄西は天台山万年寺の虚庵懐敞(きあんえしょう)に禅を学び、1191(建久2)年に臨済宗を広める許可を得て帰国した。
創建当初の建仁寺は禅宗布教に逆風が吹いており、台・密・禅の三宗兼修の寺として朝廷から創建が許可された。栄西の死後もしばらくは三宗兼修が続いたが、1246(寛元4)年に中国南宋出身の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が幕府執権北条時頼の依頼で来日。鎌倉に建長寺をたてたあとに建仁寺にはいり、禅専修の寺とした。
1552(天文21)年には建仁寺は大火をあびて伽藍の大半を焼失する。再建に苦心していた建仁寺は豊臣秀吉との連携を強め、秀吉は寺領821石を寄進し、秀吉の使僧の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は安芸(広島県)の安国寺より方丈を移築、建仁寺の方丈とした。また恵瓊は東福寺の仏殿を移築して建仁寺の仏殿とした。
しかしながら関ヶ原の合戦によって、毛利氏は所有のほとんどを失い恵瓊は処刑される。南禅寺の崇伝は徳川幕府の威勢を背に臨済宗の僧録(僧侶の登録・住持の任免などの人事を統括した役職)となり、建仁寺は崇伝の厳しい監督のもとで長い江戸時代をすごすことになる。明治維新までは約5万4千坪の広大さを誇っていたが、上知令によって半分以下に減らされて現在に至る。
1168 | 栄西、入宋する |
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1187 | 栄西、二度目の入宋 |
1191 | 栄西、臨済宗を虚庵懐敞から受け帰国 |
1195 | 栄西、博多に聖福寺を創建 |
1202 | 栄西、源頼家の帰依により建仁寺を創建 |
1205 | 建仁寺の伽藍が竣工 |
1214 | 栄西、将軍源実朝に「喫茶養生記」を贈る |
1215 | 栄西、建仁寺(聖福寺とも)で七十五歳で示寂 |
1240 | 済翁証救(さいおうしょうぐ)入寺し法観寺を刹那とする |
1258 | 円爾弁円(聖一国師)、建仁寺の堂舎を復興する |
1265 | 蘭渓道隆の代になり禅刹として定まる |
1334 | 建武政権により建仁寺が五山の第二位となる |
1342 | 幕府により建仁寺が五山の第四位となる |
1346 | 海雲が高山慈照を開基として霊洞院を創建 |
1386 | 幕府により建仁寺が五山の第三位となる |
1397 | 建仁寺が焼失 |
1456 | 足利義政が雪巖永嵩(せつがんえいすう)らを高麗国に遣わし建仁寺修理の助力を請う |
1524 | 狩野元信が「仏涅槃図」を描き建仁寺に寄進 |
1586 | 豊臣秀吉が寺領821石を建仁寺に寄進 |
1599 | 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が安国寺より方丈を移築再建する |
1614 | 徳川家康が建仁寺に寺領821石を安堵する |
1664 | 開山堂の修理がなり新彫の栄西像の開眼供養がおこなわれる |
1788 | 門前から出火、京都の町が燃える(天明の大火) |
1872 | 荊叟東玟(けいそうとうぶん)、建仁寺派初代管長となる |
1885 | 妙光寺の宝陀閣を祖塔の楼門として移築する |
1891 | 霊洞院を僧堂常住とし、護国院を禅堂とする |
1913 | 開山栄西禅師750年遠諱を厳修する |
2002 | 小泉淳作画伯筆の法堂天井画「双龍図」の開眼法要をおこなう |
2006 | 本坊中庭「潮音庭」「○△□乃庭」が完成する |
建仁寺は京都駅の北東方にあり、京都の中心地にあります。お茶屋街など祇園歓楽街の中心を貫く花見小路通りの突き当りが建仁寺の裏門になっており、とても賑やかな場所にあります。
JR京都駅からは京都市バス100・206系統に乗車し「東山安井」で下車してください。バス停からは徒歩で5分ほどです。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「祇園四条駅」で下車ください。祇園四条駅からは徒歩で7分ほどです。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」で下車ください。河原町駅からは徒歩で10分ほどです。
建仁寺には有料の駐車場があります。30分/200円ですが、拝観の方は1時間無料となります。観光シーズンは混雑が予想されますのでできるだけ公共の交通機関をご利用ください。
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