六波羅蜜寺がある辺りは六道の辻(ろくどうのつじ)と呼ばれ、あの世とこの世の境目にあたるところと古くからいわれる。六波羅蜜寺をさらに東に行くと昔は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送の地があった。そんな墓場の入口に六波羅蜜寺は建立される。
六波羅蜜寺は阿弥陀聖(あみだひじり)や市聖(いちのひじり)と呼ばれた、空也上人によって平安時代の中期にはじまる。空也上人といえば、鹿の角をつけた杖をつき、口から六体の阿弥陀小仏を吐くように出している空也上人立像で有名な伝道僧である。
空也上人は若い頃から諸国をめぐって苦修練行をしながら、道を直し、川に橋を架け、野に捨てられた屍があれば阿弥陀仏を唱えて供養するという生活をしていたらしい。951年の京都の疫病の際には、打ち捨てられた死屍があふれる中、十一面観世音菩薩像を造り、それを荷車に乗せて市中をめぐった。
十一面観世音菩薩像は国宝に指定されており、秘仏として12年に1度だけ、一般に公開される。宝物収蔵庫には、空也上人像をはじめ、平清盛像、運慶の作とされる地蔵菩薩坐像など、貴重な仏像が安置されており、一般に公開されている。
創建 | 977(貞元2)年 |
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価格 | 大人600円 |
住所 | 京都市東山区五条通大和大路上ル東 |
TEL | 075-561-6980 |
六波羅蜜寺のはじまりは阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)とよばれた、空也上人が951(天暦5)年に建てた西光寺に由来する。 空也は醍醐天皇の第二皇子ともいわれており出生は不明な点が多い。若い頃から優婆塞(うばそく)として諸国をめぐって苦修練行をしながら、道を直し、川に橋を架け、野に捨てられた屍があれば阿弥陀仏を唱えて供養するという生活をしていたらしい。948(天暦2)年に延暦寺で出家し、光勝という名を与えられたが「空也」と自ら名乗り生涯かわることはなかった。
951(天暦5)年の京都の疫病の際には、打ち捨てられた死屍があふれる中、悪疫退散を祈願して十一面観世音菩薩像を造り、それを荷車に乗せて市中をめぐった。また青竹を八葉の薄片に割って点てた茶に、梅干と茗荷(みょうが)を加えて、天皇をはじめ病人に飲ませ、疫病を終息させたという。これが正月に参詣者に授与される皇服茶(おうぶくちゃ)の始まりである。
空也上人は鳥辺野(葬送地)の入口にあたる六原の地に十一面観世音菩薩を本尊として寺の建立を発願し、村上天皇の勅許を得たものの、972(天禄3)年に遷化した。空也上人の遷化から5年後、弟子の中信がこれまで西光寺と称していた上人発願の寺を「六波羅蜜寺」と改め、天台別院とした。寺名は「六原」の地名をとってそれを「六波羅」と表記し、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六つの徳目を指す「六波羅蜜」に重ねた名前である。また六波羅の名は平清盛を「六波羅入道」とよんだこと、源頼朝が「六波羅探題」をおいたことでも知られている。
1183(寿永2)年の平家都落ちの際には兵火を受け、本堂以外は焼失してしまう。その後も源頼朝、足利義詮(よしあきら)の再興、そしてまた焼失をくりかえし、豊臣秀吉の大仏建立の余材による修造、徳川幕府からの寺領の寄進などにより今よりも広い寺域をもっていた。しかし明治の初めの区画整理の際に、六原小学校に土地を譲り、現在にいたっている。
922 | 空也、尾張国分寺にて出家 |
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938 | 空也、京都で念仏を勧める |
948 | 空也、叡山で出家、光勝と号する |
951 | 空也、十一面観音・脇侍を造像 |
963 | 空也、大般若経六百巻の浄書を完成 |
972 | 空也、西光寺にて没する。70歳 |
977 | 中信、西光寺に来て、寺を興すとともに、六波羅蜜寺と改称し、天台別院とする |
1000 | 一条皇后定子没する。六波羅蜜寺で葬送 |
1173 | 六波羅蜜寺炎上。多くの僧房が焼失 |
1178 | 高倉中宮建礼門院徳子のお産のため、不断読経を行う |
1190 | 源頼朝上洛、六波羅蜜に新邸につく |
1228 | 六波羅、高野山僧徒の武装を禁止する |
1237 | 六波羅蜜地蔵堂焼亡。北条泰時、時房により復興 |
1260 | 六波羅探題、新御堂地施入を施行 |
1333 | 六波羅探題焼亡 |
1335 | 六波羅蜜寺、御醍醐中宮珣子の安産を祈る |
1363 | 僧観実、六波羅蜜寺造営の資を募る |
1507 | 堂修理のため、秘仏十一面観音をはじめ仏像の開帳を行い、勧進をする |
1510 | 山城新醍醐寺の僧隆栄、諸国を募縁して、六波羅蜜寺を修造する |
1589 | 豊臣秀吉、洛中洛外の諸社寺境内、および門前の地子を免除する |
1591 | 豊臣秀吉、六波羅蜜寺領70石を安堵する |
1615 | 徳川家康、六波羅蜜寺領70石を安堵する |
1906 | 経典・仏像などの供養目録2通および極楽願往生歌が出土 |
1965 | 本堂の解体修理を行う。泥塔約8千基が出土 |
1969 | 本堂を改修、本堂落慶法要を行う |
1999 | 本尊十一面観世音菩薩立像、国宝に指定される |
智積院は京都駅の東方にあり、北方には祇園、建仁寺、東方には清水寺と観光名所がたくさんあるエリアにあります。繁華街から少しはずれた場所にあり道が狭く、車でのアクセスは不向きですのでできるだけ公共交通機関でお訪ねください。
JR京都駅からは100・206系統に乗車し「清水道」で下車してください。また京都駅八条口アバンティ前からは202・207系統を利用できます。同じく「清水道」で下車。徒歩で約5分ほどで六波羅蜜寺です。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「清水五条駅」で下車ください。清水五条駅から徒歩で7分ほどで六波羅蜜寺です。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」で下車ください。「河原町駅」からは京都市バス207系統に乗車し「清水道」で下車。徒歩で約5分ほどで六波羅蜜寺です。「河原町駅」から徒歩の場合は約20分ほどかかります。
六波羅蜜寺には駐車場がありません。近くにコインパーキングなど民間の駐車場はありますが、車でのアクセスは不向きな場所です。
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