仁和寺といえば遅咲きで知られる御室の桜。市中の桜がおよそ散り始めたころに、低い木に豪華な花を咲かせます。その御室の桜は江戸時代のころから京都の桜の見納めとして広く知られていたそうです。
仁和寺の創建は888(仁和4)年。光孝天皇の遺志をついだ、宇多天皇によって完成されました。地名にもなっている御室(おむろ)とは、出家した宇多天皇が、仁和寺に建てた僧坊のことをいい、代々、仁和寺には皇族が入寺し、門跡寺院として最高位にありました。皇室とゆかりの深い寺として、旧御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれます。
そんな仁和寺も禅宗の勃興、また応仁の乱の兵火により衰退。ようやく復興がされたのは江戸時代に入ってからのことでした。1634(寛永11)年徳川家光により、ようやく旧地に伽藍を復興。仁和寺に現存の建物のほとんどがこの時期に造営されたものです。
1994(平成6)年には古都京都の文化財の1つとして世界遺産に登録。広大な境内をゆったりと歩くと、おおらかで優美な皇室の香りがするお寺です。
宗派 | 真言宗御室派 |
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創建 | 888(仁和4)年 |
価格 | 御殿:500円 霊宝館:500円 伽藍特別入山:500円 |
住所 | 京都市右京区御室大内33 |
TEL | 075-461-1155 |
営業時間 | 9:00~17:00 9:00~16:30(冬季) |
URL | ホームページ |
仁和寺は886(仁和2)年、光孝天皇の勅願によって、大内山の麓に西山御願寺が建立されたことに始まります。しかしながら光孝帝は翌年没し、その遺志をついだ宇多天皇によって888(仁和4)年に造営は完成し、空海の弟子真然が導師となって落慶供養を営んだ。寺名は年号をとって仁和寺とされました。
宇多天皇は藤原氏をおさえ菅原道真を重用、これまでの政治を刷新し、寛平の治(かんぴょうのち)と称される親政をおこなった帝で、子の醍醐天皇へ31歳で譲位。899(昌泰2)年には仁和寺で出家し第一世となった。さらに904(延喜4)年に宇多天皇が法務をおこなう僧坊を建て移住した。法皇の住まいとする僧坊を、御室(おむろ)といい、それが当地の地名となった。
第二世に三条天皇第四皇子 師明(もろあきら)親王が、第三世に白河天皇第三皇子 覚行(かくぎょう)親王が就任し、つづいて第四世に白河天皇第四皇子が住持となり、その後、明治維新まで皇族が入寺して、仁和寺は門跡寺院として最高位にあった。親王が住待となるたびに伽藍諸堂は充実していったが、武家政治とそれにともなう禅宗の勃興、また応仁の乱の兵火にかかり衰退した。
1467(応仁元)年に始まった応仁の乱では、仁和寺に陣を構えていた西軍に対し、東軍が攻撃を加え、そのため仁和寺は御室をはじめ堂塔はことごとく焼失し、すべて焼け野原と化した。
一面荒地と化した御室一帯が、再建の途についたのは江戸時代になってからであった。1634(寛永11)年、第二十一世の覚深(かくしん)天皇は徳川幕府に再建を願い出て、徳川家光より21万両の寄進を受け、ようやく旧地に伽藍を復興することになった。その再建は慶長年間に建てられた内裏の建て替えを行い、その取り壊された旧殿舎の多くを仁和寺に移築しようとするものであった。
現存の金堂、五重塔など中門からうちの建物のほとんどと二王門はこの時期に造営されたものである。昭和時代に入り、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、1994(平成6)年には古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録されました。
886 | 光孝天皇の発願により、大内山の麓に御願寺が着工 |
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887 | 光孝天皇が崩御し、宇多天皇が即位 |
888 | 年号を取って仁和寺と名付けられる |
890 | 別当幽仙の奏請によって、仁和寺に年分度者二人が置かれる |
897 | 宇多天皇(31歳)が退位し、醍醐天皇が即位 |
899 | 宇多上皇により円堂院(八角堂)が建立 |
899 | 宇多上皇が仁和寺にて落飾 |
899 | 宇多法皇が東寺の益信(やくしん)により出家。法皇となる |
900 | 別当観賢の奏請にり、円堂院に声明業の年分度者一人が置かれる |
904 | 宇多法皇が仁和寺の一郭に住房を建て移住 |
931 | 宇多法皇が崩御、遺詔により御陵は造られず |
952 | 朱雀法皇が仁和寺に移る |
983 | 円融天皇の御願によって円融寺が建立 |
998 | 一条天皇の御願によって円教寺が建立 |
1010 | 藤原道長の妻倫子の御願によって、観音院灌項堂が建立 |
1055 | 御朱雀天皇の御願によって円乗寺が建立 |
1082 | 白河天皇が仁和寺に行幸。喜多院を供養 |
1119 | 金堂、東西回廊、鐘楼、経蔵、三面僧房、観音院、灌項院等が焼亡。12月に金堂が再建 |
1122 | 観音院、灌項院、仏母院が再建 |
1130 | 待賢門院璋子(鳥羽天皇中宮)の御願によって、法金剛院が建立 |
1135 | 鳥羽法皇が仁和寺の修理完成の供養を行う |
1144 | 鳥羽法皇の発願によって、孔雀明王堂が建立 |
1178 | 覚法法親王が建礼門院徳子(高倉天皇中宮)御産のため、孔雀経法を六波羅殿に修する |
1186 | 守覚法親王、空海が持ち帰った「三十帖冊子」を東寺の経蔵より仁和寺大聖院の経蔵に移す |
1281 | 性助法親王が蒙古調伏のため孔雀経法を仁和寺大聖院に修する |
1369 | 大風雨によって仁和寺・円宗寺・観音院などが倒壊 |
1468 | 応仁の乱で、東軍の兵により仁和寺を焼失 |
1524 | 勧進僧覚算が、仁和寺の再建のために勧進を行う |
1591 | 豊臣秀吉が仁和寺に860石の朱印地を与える |
1617 | 徳川秀忠が仁和寺に1500石の朱印地を与える |
1634 | 覚深法親王が幕府に仁和寺の再建を願い出、許可される。 |
1646 | 仁和寺の伽藍の再建が完成 |
1734 | 仁和寺にて宗祖弘法大師九百年御遠忌を修する |
1827 | 御室八十八ヶ所を開設 |
1868 | 仁和寺宮嘉彰親王が征夷大将軍に任ぜられる |
1887 | 宸殿・勅使門が焼失 |
1914 | 宸殿が竣工 |
1931 | 開山宇多法皇1000年御忌法会執行 |
1994 | ユネスコの世界文化遺産に登録 |
仁和寺は京都市内の北西にあり、京都駅からは車で40分ほどのところにあります。周辺には金閣寺や龍安寺があり、観光道路「きぬかけの道」沿いにあります。御室仁和寺駅から嵐電にのると嵐山へのアクセスも可能です。
JRをご利用の場合は、JR京都駅から京都市バスかJRバスのいずれかにご乗車ください。京都市バスの場合は26号系統に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。JRバスのご利用の場合は高尾・京北線に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。市バスで観光をする場合は500円のバス一日乗車券がお得です。
またJR花園駅からは徒歩で約15分。タクシーで約5分ほどで仁和寺へのアクセスが可能です。
京阪電鉄をご利用の場合は「三条京阪駅」で下車ください。三条京阪駅から京都市バス10・59系統に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。
阪急電鉄をご利用の場合は「大宮駅」か「西院駅」で下車ください。いずれも京都市バス26系統に乗車、「御室仁和寺」で下車ください。
仁和寺には東側に有料の駐車場(普通車120台/500円)がありますが、さくら祭り期間中は大変混雑しますので、混雑時は公共交通機関をご利用ください。
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