七条大橋を東に進み三十三間堂、国立博物館をすぎると、七条通りのつきあたりに智積院はあります。智積院といえば桃山時代を代表する作品で、国宝にも指定されている長谷川等伯と長子久蔵が描いた障壁画。そして利休好みの庭と伝えられる中国の廬山(ろざん)を表現した名勝庭園は東山随一の庭といわれるほどの美しい庭園です。どちらも見ごたえがあり一見の価値があります。
智積院は真言宗智山派の総本山で正式名称を五百仏山根来寺(いおぶつさんねごろじ)智積院といいます。もともとは新義真言の開祖興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁上人(かくばん)によって紀伊国(和歌山県)に開山されました。小牧・長久手の戦いで家康に加担したことが原因で、秀吉に攻められ流寓生活が続きましたが、関ヶ原の戦の後に家康から洛東豊国神社境内の一部と祥雲寺を与えられ、智積院として再興しました。
以来、真言宗の教学を伝える「学山智山」としての地位を築き、1900(明治33)年には全国の約3,000の寺院が結集し、真言宗智山派の総本山となりました。
宗派 | 真言宗智山派 |
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創建 | 1598(慶長3)年 |
価格 | 大人 :500円 中・高生:300円 小学生 :200円 |
住所 | 京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964番地 |
TEL | 075-541-5361 |
定休日 | 12月29日、30日、31日は休み |
営業時間 | 9:00~16:00 |
URL | ホームページ |
智積院の正式名称は五百仏山根来寺(いおぶつさんねごろじ)智積院といい、当初は紀伊国根来寺山内(和歌山県)に建立された。根来寺は、新義真言の開祖興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁上人(かくばん)によって開山された。
覚鑁は、平安時代末期、真言教理に浄土思想をとりいれ、真言教学を再興し、さらに、高野山に大伝法院、密厳院を建立して高野山を復興した。しかし、伝統を重視する金剛峯寺方と対立する。1140(保延6)年、金剛峯寺方の攻撃により、覚鑁は根来の豊福寺に逃れ、この地に一乗山円明寺と神宮寺を建立し拠点としたのが、根来寺の起こりである。
1336(建武3)年には、根来寺は南北朝の抗争の際、北朝に足利尊氏の支持を鮮明にしたことから、高野山にい押領されていた大伝法院領を尊氏から安堵される。さらに尊氏の護持僧である醍醐三宝院門跡賢俊(けんしゅん)が根来寺大伝法院座主を兼任している。これを期に根来寺は醍醐寺を通して室町幕府に保護され、隆盛の途を歩むことになる。
1584(天正12)年には豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄が対峙した小牧・長久手の戦いでは家康に加担する。その頃、根来寺山内は財政にも恵まれ、最新兵器の鉄砲を駆使する軍団となり根来衆と呼ばれていた。しかしながら秀吉は家康と和睦し、秀吉によって根来側の出城はすべて攻略され、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は学侶とともに高野山に逃れた。
玄宥はそれ以後十三年にわたる流寓生活を余儀なくされ苦難の日々を過ごすが、秀吉の死後、家康に京都北野において寺地を与えられ流寓生活に終止符をうつことができた。そして家康が関ヶ原の戦に勝利した後に洛東豊国神社境内の一部を与えられた。これにより玄宥は学侶の指導者の住坊であった根嶺智積院を新義真言の教相本寺としの洛東智積院に再興、ここから智積院の歴史が始まる。
1140 | 覚鑁、紀州根来の豊福寺に逃れ、この地に円明寺・神宮寺を建立 |
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1288 | 頼喩僧正、密厳院を根来に移す |
1336 | 高野山に押領されていた大伝法院領を尊氏より安堵される |
1556 | 日秀、根来寺内智積院の住職となる |
1577 | 玄宥、根来寺内智積院の住職となる |
1584 | 小牧・長久手の戦で根来衆、徳川家康に加担 |
1585 | 玄宥、衆を引き連れて高野山清浄心院へ避難 |
1585 | 豊臣秀吉に根来寺を焼き討ちされる |
1598 | 玄宥、徳川家康より洛北北野に寺地を賜る |
1601 | 玄宥、徳川家康より豊国神社の梵宇三区を賜り、上・下二寺を建立。ここを五百仏根来寺智積院と号する |
1613 | 日誉、智積院法度、寺領朱印状を賜る |
1615 | 日誉、家康より祥雲寺を賜り、智積院を拡張 |
1619 | 日誉、秀忠より大報恩寺養命坊(現千本釈迦堂)を賜り、智山能化の隠居所とする |
1661 | 運敞、第七世能化となる |
1667 | 新賜の地に開山堂・三祠社・拝殿・鐘楼・浴室などを建立 |
1673 | 運敞蔵を建てる |
1674 | 智山庭園が完成する |
1682 | 方丈殿、焼失 |
1685 | 方丈殿、再建 |
1690 | 覚鑁聖人五百五十回忌を控え「興教大師」の諡号を賜る |
1692 | 妙法院所属の三河山を借用し、学寮数十軒を建立 |
1789 | 大師堂を建立 |
1817 | 庫裡玄関を新築 |
1851 | 求聞待堂、落慶 |
1862 | 土洲候の申し出により土洲候陣所となる |
1869 | 勧学院が爆発炎上 |
1900 | 真言宗各派独立。新義真言宗智山派を公称する |
1947 | 方丈、宸殿炎上 |
1952 | 本堂落慶 |
1975 | 弘法大師御生誕千二百記念事業として金堂を再建 |
1995 | 講堂が落慶 |
智積院は京都駅の東方にあり、京都駅から徒歩で20分ほどの距離にあります。近くには三十三間堂や京都国立博物館。博物館の北に豊臣秀吉をお祀りする豊国神社があります。さらに南方には皇室ゆかりの泉涌寺。紅葉で有名な東福寺など周辺にはたくさんの見所があります。
JR京都駅からは徒歩で20分ほどの距離ですが、交通量が多い通りですので京都市バスの利用をおすすめします。100・206・208系統に乗車し10分ほどで「東山七条」で下車してください。バスで観光をする場合は、1日乗車券500円が便利です。
京阪電鉄をご利用の場合は「七条駅」で下車ください。七条駅から徒歩で10分ほどで智積院です。
阪急電鉄をご利用の場合は「河原町駅」か「大宮駅」で下車ください。河原町駅下車の場合は京阪電車に乗換え、祇園四条駅から大阪方面行きにて七条駅下車。徒歩で10分ほどで智積院です。市バスの場合は大宮駅からは京都市バス206系統「水族館・京都駅ゆき」を利用し「東山七条」で下車してください。
智積院には宿泊・参拝の方に限り無料の駐車場があります。また京都国立博物館にも50台ほどの駐車場がありますので、比較的車で行きやすい場所にあります。
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