京都の中心部から車を運転し、京都屈指の紅葉の名所、高雄へ向かう。山道をのぼったところに車を止め、さらに急な石段の参道を息を切らしながら登る。ようやく豪壮な山門をくぐると一気に視界がひらけ、その広々とした山内にふっと足がとまる。
神護寺は今から1200年前、空海と最澄が出会った歴史上とても重要な場所でもあります。今でも境内の片隅に空海が住んでいたとされる「納涼坊」を由諸とする大師堂がひっそりと立ちます。とくに空海は唐から帰朝した後、しばらくの間はこの寺を中心に活躍していました。
創建は不明な点も多いのですが、824(天長元)年に神願寺と高雄山寺が合併し、神護寺となりました。空海やその弟子の死後は、すこしずつ衰退していきますが、文覚上人により復興します。その後も応仁の乱による焼失、明治維新の寺領没収など、幾度も危機を乗越え現在に至ります。
神護寺がある高雄は紅葉で有名ではありますが、人もまばらな新緑の時期を是非おすすめしたい。ここにいたであろう空海と最澄を想い、ゆっくりと時間をかけてお参りください。神護寺が発祥とされる厄除け祈願の「かわら投げ」も是非忘れずに。
宗派 | 真言宗 |
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価格 | 大人 :500円 小学生:200円 |
住所 | 京都市右京区梅ヶ畑高雄町5番地 |
TEL | 075-861-1769 |
定休日 | 年中無休 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
URL | ホームページ |
神護寺の創建は不明な点も多いが、神願寺と高雄山寺が824(天長元)年に合併し「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と改称。上二字をとって神護寺が寺名になったと伝わる。
神願寺は和気清麻呂(わけのきよまろ)が出身地の河内に建てた寺とされ、その創建は奈良時代末期におこなった宇佐八幡宮信託事件に関連する。当時、称徳天皇の寵愛を受け、絶大な権力を持っていた道鏡を「天皇の位につければ天下は泰平になる」との神託があったと伝えた。天皇はこの神託を確かめるべく、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣し、この神託が虚偽であることを確認し、道鏡の野望を阻止した。
この際に八幡大神より「一切経を写書し、仏像を造り、最勝王経一万巻を読経して一伽藍を建てたならば、国家に万代にわたって安穏にしよう」と告げられたことに神願寺は由来する。
また、高雄山寺の創建は不明で、和気氏の氏寺とされ、802(延暦21)年に最澄が清麻呂の長男である和気広世の招きで法華会を修し、南都の高僧に天台の教法を説いている。このことを契機に最澄は入唐求法の還学僧に選ばれている。
神護寺は最澄と空海にとても縁が深い寺である。唐から帰朝した空海は、809(大同4)年、高雄山寺に入山、ほぼ14年間この寺を中心に活躍、その間に最澄や弟子の泰範(たいはん)らに金剛界灌頂と胎蔵界灌頂をおこなった。しかし二人の交流は最澄がもっとも信頼していた泰範が最澄のもとを離れ、空海に師従したため、空海と最澄は決別したという。
その後、空海の跡をついだ高弟信済(しんぜい)は伽藍をととのえ、真言宗寺院としての基礎をかため、国家鎮護の道場となる。しかし、1149(久安5年)の火災で金堂、真言堂など諸堂を失い、さらに鳥羽法皇の怒りに触れ、神護寺は一気に衰退していく。
そのように荒廃した神護寺を救うべく登場したのが文覚上人であった。俗名を遠藤森遠といい、同僚の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまい、発心して出家したと伝わる人物である。
文覚上人はまず、1168(仁安3)年に寺内に草庵を建て、のちに「四十五箇条起請文」を作成して、後白河法皇に神護寺の本格的な再建を迫る。一時はかえって法皇の怒りを買い流罪になるが、源頼朝の援助をえて、神護寺は従時以上の盛観をみるまでになった。その後、応仁の乱でいったん荒廃するが、豊臣秀吉や徳川家康の寺領寄進などにより、いま私たちが目前にする建物の多くが再建される。
明治に入り神仏分離によって寺領は没収、境内地さえも上地されて官有地となった。また和気清麻呂を祀っていた護王神社が京都御所の西隣に遷座してしまう。衰退した神護寺だが、昭和に入り豪商山口玄洞や内貴清兵衛、平井仁兵衛らによって整備がされ、現在に至る。
769 | 和気清麻呂・広虫、道鏡の怒りにふれ大隅・肥後へ流罪 |
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770 | 称徳天皇死去。道鏡、下野薬師寺別当として左遷 |
780 | 清麻呂、光仁天皇に神願寺建立を願う |
781 | 桓武天皇即位。神願寺建立を許される |
793 | 清麻呂、山背国への遷都を密奏 |
796 | 清麻呂、造都大臣に任ぜられ、従三位にすすむ |
799 | 清麻呂、死去 |
802 | 和気広世、最澄を高雄山寺に招き、法華会を開く |
804 | 遣唐大使藤原葛野麻呂とともに、最澄・空海入唐 |
805 | 最澄帰朝。高雄山において我国初の灌頂壇を開く |
806 | 空海帰朝 |
810 | 空海、高雄山寺において、鎮護国家の為に修法することを奏する |
811 | 空海、乙訓寺別当となる |
812 | 空海、乙訓寺を辞し高雄山寺に帰住 |
812 | 空海、高雄山寺において、最澄以下に金剛界灌頂を伝授 |
816 | 空海、高野山を修禅の道場として開創する |
824 | 高雄山寺を神護寺と改名 |
840 | 宝塔を建立し五大虚空蔵菩薩像を安置する |
1145 | この頃、神護寺が急激に荒廃する |
1168 | 文覚、新護寺の再興を発願し山内に草庵を作る |
1173 | 文覚、伊豆に流罪 |
1178 | 文覚、流罪を許され還寺 |
1181 | 明恵九歳にて神護寺に入る |
1199 | 文覚、佐渡に配流 |
1202 | 文覚、神護寺へ還寺 |
1205 | 文覚、対馬に配流。死去 |
1230 | 新護寺絵図を作り、復興の規模を明記する |
1255 | 後深草天皇行幸、金剛界灌頂を伝授 |
1532 | 兵火により伽藍を焼失 |
1573 | 豊臣秀吉により一乗寺村二十八石を寄進 |
1601 | 徳川家康により寺領返還 |
1615 | 讃岐国屋島寺の龍厳、入山して復興に着手 |
1623 | 板倉勝重奉行となり、金堂をはじめ五大堂、鐘楼などを再建 |
1629 | 楼門を再建 |
1871 | 神仏分離令により寺領および境内地を解体 |
1886 | 護王神社を御所近くへ遷宮 |
1900 | 塔頭地蔵院を再興 |
神護寺は京都市内の北西の高雄にあり、京都駅からは車で50分ほどかかります。高雄山という山の中にある寺院ですので、市内の寺院にくらべてアクセスがあまりよくありません。また高雄周辺は京都屈指の紅葉の名所ですので紅葉の時期はたくさんの人で賑わいます。京都市内の観光であれば公共機関がおすすめですが、神護寺に限っては自家用車での観光をおすすめします。また近くには世界遺産の高山寺がありますのであわせてお訪ねください。
JR京都駅からはJRバス「高雄・京北線」に乗り、50分ほどで「山城高雄」で下車。バス停より神護寺までは徒歩で約20分ほどかかります。
阪急電鉄をご利用の場合は「烏丸駅」または「大宮」で下車ください。いずれも京都市営バス8号系統に乗り、45分ほどで「高雄」下車。バス停より神護寺までは徒歩で約20分ほどかかります。
自家用車をご利用の場合は、近くに民間駐車場があります。紅葉の時期は周山街道は大変混み合います。
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