菅原道真公の乳母だったといわれている多治比文子のもとに菅原道真公からの託宣が下りたといわれているのは942年(天慶5年)のことでした。多治比文子の夢枕に立った菅原道真公は「北野の右近馬場に社殿を造って自分を祀ってほしい」と述べましたが、多治比文子にはとても社殿を建てる経済力はなく、自宅のある西京七条二坊の土地の一角に祠を建てて祀ったのが菅原道真公を天神として祀ったきっかけだといわれています。
地図で見る住所 | 京都市下京区間ノ町通花屋町下ル天神町400 |
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TEL | 075-361-0996 |
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