この地には江戸初期から明治4(1871)年まで土佐藩主山内家の藩邸があった。幕末期に藩主山内容堂は公武合体を目指したが、のちに勤王党が台頭した。文久3(1863)年8月18日の政変以後は尊王攘夷を弾圧したが、坂本龍馬等の尽力で薩長同盟が成立し、後藤象二郎の進言を入れて大政奉還を建白するに至った。この石標は土佐藩邸の跡を示すものである。
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