本間精一郎は、越後国出身で文武に長じ、尊王攘夷の急進派として行動したが、酒色に身を持ち崩して志士仲間の反感を買い、文久 2(1862)年閏8月20日、先斗町からの帰途に薩摩・土佐藩志士に暗殺された。この石標は本間精一郎遭難の地を示すものである。
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