軽女の墓があることで知られる上善寺は,貞観5年(863)に慈恵の開基になる天台真盛宗の寺です。度々の火災に由緒を明らかにしませんが,文明15年(1483)になって盛信が再興し,中興の祖となっています。永禄9年(1566)後柏原天皇の勅願所となり,文禄3年(1594)に現在の地に移りました。嘉永5年の火災後に復興したのが今の堂宇です。軽女は歌舞伎の仮名手本忠臣蔵に登場する早野勘平の妻お軽のことですが,この墓はもともと二条寺町の二文字屋治郎右衛門の娘かじ女のもので,墓石に刻まれた3人の戒名のうち清誉貞林法尼が軽女のものだとされています。つまり,かじ女はお軽のモデルの女性でありました。
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