嵐山の渡月橋から、雑踏の中をまっすぐ北に歩くと、突当たりに清涼寺がある。山門をくぐり、境内に足をふみいれると嵐山の喧騒が嘘のように静寂に変る。平安中期に紫式部によって書かれた源氏物語は、清涼寺がある嵯峨が重要な舞台として描かれている。もっとも紫式部が源氏物語が書いた頃に清涼寺は存在せず、その地には棲霞寺(せいかじ)があった。棲霞寺は光源氏(ひかるげんじ)のモデルになったといわれる源融(みなもととおる)が建てた山荘を、源融の死後に、阿弥陀三尊像を安置し寺にしたと伝わる。
京都の人は清涼寺を釈迦堂と呼ぶ。986(寛和2)年、東大寺で学んだ奝然(ちょうねん)が、宋から持ち帰ったとされる釈迦如来像は、釈迦が在世のころに造られたといわれる、インド伝来の釈迦像を模造した像で、国宝にも指定されている。普段は非公開だが、12月に3日間一般に公開さる。釈迦如来像は当時から釈迦の「生き身」であると評判になり、1156(保元元)年には、法然が清涼寺の釈迦如来像のまえで、7日間の参籠をしたといわれる。釈迦像に前に額ずき、ひたすらに祈るおびただしい庶民の姿を見て、法然は回心のきっかけをつかんだともいわれている。
清涼寺はまた嵯峨大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)が行われることでも知られている。融通念仏の中興者である円覚上人による念仏の教えを無言劇としたもので、現在でも民間の方によって受け継がれており、1976(昭和61)年には重要無形民俗文化財に指定されています。清涼寺は大覚寺など皇室ゆかりの寺院が多い嵯峨の中で、今でも民衆に根付いた親しみのある寺である。
宗派 | 浄土宗 |
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住所 | 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46番地 |
TEL | 075-861-0343 |
URL | ホームページ |
清涼寺の歴史は嵯峨天皇の皇子、左大臣をつとめた源融(みなもととおる)が嵯峨に造営した山荘、棲霞観(せいかかん)にはじまる。紫式部が書いた源氏物語に登場する光源氏は、源融がモデルになったといわれる。源融の死後、融の遺子である湛と昇が棲霞観に仏堂をたて、阿弥陀三尊像を安置、棲霞寺とした。
棲霞寺が建立され約70年後の972(天録3)年には、東大寺で学んだ奝然(ちょうねん)と義蔵は、比叡山に対抗し京都の愛宕山に大寺を建立して仏教を興隆しようと誓いをたて、宋にわたることを決意する。その10年後の982(天元5)年にようやく朝廷の許可がおり、奝然と義蔵は弟子とともに宋に渡る。宋では五台山巡拝をはたし、釈迦が在世のころに造られたといわれる、インド伝来の釈迦像を模造し、博多に帰着した。
986(寛和2)年に釈迦像と共に帰着した奝然はとりあえず船岡山の西にある蓮台寺に釈迦像を運んだが、清涼寺創建の夢を果せないまま1016(長和5)年に死去した。高弟の盛算が遺志がひきついだが新寺創建はあきらめ、釈迦像を棲霞寺に安置し、勅許を得て華厳宗の五台山清涼寺とした。棲霞寺の一郭でささやかにはじまった清涼寺ではあるが、本尊の釈迦如来像が釈迦の「生き身」であると次第に評判になっていく。
1156(保元元)年には後の浄土宗開祖、法然が清涼寺の釈迦如来像のまえで7日間の参籠をしたといわれる。釈迦像に前に額ずき、ひたすらに祈るおびただしい庶民の姿を見て、法然は回心のきっかけをつかんだともいわれる。その後、清涼寺は天台、真言宗を兼ねたあとで浄土宗の大寺院になり、棲霞寺は清涼寺のなかの阿弥陀堂に名を残すだけとなり、現在に至っている。
895 | 源融(みなもととおる)没。遺族は別荘嵯峨棲霞観(せいかかん)に阿弥陀堂を建立、棲霞寺とする |
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945 | 重明親王妃が藤原氏のために棲霞寺に新堂を建立、等身釈迦像を安置 |
959 | 奝然(ちょうねん)、東大寺で受戒 |
972 | 奝然、京都付近(愛宕山)に比叡山に対する大霊場を築くことが誓約する |
983 | 奝然、入宋。太宗皇帝に謁見 |
985 | 奝然、栴檀釈迦瑞像の模刻を完成する |
986 | 奝然、帰朝 |
987 | 奝然、山城愛宕山に五台山清涼寺建立を請願する |
989 | 奝然、東大寺別当に補される |
990 | 奝然の弟子たち、宋より帰国する |
1016 | 奝然没後、弟子の盛算、棲霞寺内に五台山清涼寺を建立 |
1113 | 棲霞寺釈迦像供養 |
1124 | 大原僧良忍、融通念仏を始行する |
1156 | 法然、比叡山を下り、清涼寺釈迦堂に七日参籠祈請する |
1217 | 清涼寺釈迦堂、棲霞寺重ねて焼失 |
1249 | 叡尊、清涼寺釈迦像を模刻し、西大寺に安置 |
1279 | 円覚上人、融通念仏を清涼寺に勤行する |
1288 | 清涼寺の大念仏を根本とする。円覚上人を大念仏中興上人と称する |
1443 | 大念仏狂言、はじめて行われる |
1481 | 清涼寺大念仏を再興する |
1584 | 豊臣秀吉、清涼寺に嵯峨の地97石を寄進 |
1596 | 京畿大地震、清涼寺の伽藍が破損する |
1598 | 秀吉、清涼寺を再興せんとし、前田玄以、禁制を下す |
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