この地はもと叔阿弥(正法寺塔頭)のあったところであるが、天保(1830~1843)のはじめ頃、西本願寺が買収し、書院・庭園などをつくり、翆紅館と称した。文久3年(1863)桂小五郎や真木和泉らはここで、急進派の公卿と会同し、天皇親政についての話し合いが行われた。その結果、大和行幸の発令に至ったが、これが原因で政変を引き起こし、急進七卿の都落ちの原因となった。世にこれを翆紅館会議という。現在は料亭・京大和となっているが、当時の建物は保存されている。
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