二条城は1603(慶長8)年に徳川家康によって造営されました。豊臣秀吉に代わる天下人として、朝廷や諸国諸藩にその威勢を示すための政治的な理由からでした。三代将軍家光の時代には大規模な改修と増築が行われ、二条城は最盛期を迎えますが、それから長い間、二条城に将軍が入城することはありませんでした。
幕末に入り、将軍家茂が230年ぶりに二条に入城。その後、家茂の後を継いだ徳川慶喜は1867(慶応3)年10月13日、二の丸御殿の大広間において、諸大名を集め大政奉還を宣言。二条城は江戸幕府の始まりと終焉の場所でもあります。
その後、明治時代に宮内庁の管轄となって二条離宮と称され、1939年(昭和14年)に京都市に下賜。城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されている。
創建 | 1603(慶長8)年 |
---|---|
価格 | 一般 600円 中学生・高校生 350円 小学生 200円 |
住所 | 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 |
TEL | 075-841-0096 |
定休日 | 年末年始 12月26日~1月4日 毎年12月・1月・7月・8月の毎週火曜日 ※ただし当該日が休日の場合、その翌日を休城日 |
営業時間 | 8:45~16:00(閉城17:00) |
URL | ホームページ |
関ヶ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康は、1602年(慶長7年)5月に二条城の築城を開始した。当時家康は伏見城を居城としていたが、豊臣秀吉に代わる天下人として朝廷や諸国諸藩にその威勢を示すための政治的な理由であった。翌年には完成、家康は公家衆や諸大名を招き、華やかな祝儀が行われた。1611年(慶長16年)には秀吉の遺児である豊臣秀頼と対面。大坂冬の陣・夏の陣では幕府の本陣が二条城に置かれた。
1626年(寛永3年)の後水尾天皇の二条城行幸には、三代将軍家光により大規模な改修と増築が行われた。新たに本丸部分を設け、殿舎を新築し、西南隅には伏見城の天守閣を移築した。幕府の力を誇示し、公武和合の政策を天下に示すための威信をかけた築造であった。その後、十四代将軍家茂の入城までの230年余りは将軍が入城することはなかった。
230年ぶりに将軍として二条城に入城した家茂は攘夷をめぐる朝廷と幕府の軋轢の中で死去。1750年(寛延3年)の落雷により天守閣を失い、1788年(天明8年)の大火で本丸御殿が焼失した二条城は荒れ果て、往時の面影はなくなっていた。家茂の後を継いだ徳川慶喜は万策つき、1867年(慶応3年)10月13日、二の丸御殿の大広間において諸大名を集め大政奉還を宣言した。
大政奉還後の二条城は朝廷に接収され、明治元年には現在の内閣にあたる太政官代が置かれる。1884年(明治17年)には宮内省所管となり二条離宮と称された。1893年(明治26年)に京都御所の桂宮御殿を本丸に移築。1893年(昭和14年)には、宮内省より二条離宮が京都市に下賜されている。
1602 | 徳川家康、西日本の諸大名に二条城の築城を命じる |
---|---|
1603 | 二条城完成。家康が入城、拝賀の式を行う |
1611 | 家康、豊臣秀頼と二条城会見 |
1614 | 家康、豊臣家攻撃(大坂冬の陣)のため大阪へ出陣 |
1615 | 再度、秀頼を攻める(大坂夏の陣)ために大阪に出陣 |
1615 | 二代将軍秀忠、禁中並公家御法度を城中にて発布 |
1624 | 三代将軍家光、行幸をひかえ天守、行幸殿を造営 |
1626 | 後水尾天皇、中宮和子とともに二条城行幸(5日間) |
1626 | 本丸・二の丸・天守が完成。現在の規模となる |
1634 | 三代将軍家光、三十万人と称する大軍を率いて入城。 |
1662 | 大震災により城内各所が被災 |
1699 | 二条城代を廃し、定番二名各与力十騎、同心二十人を以って管理 |
1750 | 雷により五層の天守が焼失。 |
1788 | 市中の大火により本丸殿舎など焼失 |
1862 | 十四代将軍家茂の上洛をひかえ二の丸殿舎の整備 |
1863 | 家茂、将軍として家光以来(1634年)230年ぶりに入城 |
1866 | 徳川慶喜への将軍宣下が二条城で行われる |
1867 | 二条城に四十藩の重役を集め、大政奉還の会議が行われる |
1867 | 二の丸御殿大広間において慶喜が大政奉還を発表 |
1868 | 城内に現在の内閣にあたる太政官代を置く |
1871 | 二の丸御殿内に府庁を置く(のち一時陸軍省) |
1884 | 二条離宮となる |
1893 | 京都御所の桂宮御殿を本丸に移築し、本丸御殿とする。 |
1893 | 本丸庭園(芝生)造成 |
1915 | 大正天皇即位の大典が行われ大饗宴場を造営 |
1939 | 宮内省より二条離宮が京都市に下賜 |
1940 | 恩賜元離宮二条城として一般公開開始 |
1952 | 文化財保護法の制定により、二の丸御殿六棟が国宝に指定 |
1953 | 二の丸庭園が特別名勝に指定 |
1965 | 清流園造成 |
1982 | 二の丸御殿の障壁画が重要文化財に指定 |
1994 | 二条城が世界遺産に登録される |
二条城は京都市内の中心部にあり、京都駅からはバスで15分ほどの堀川通り沿いにあります。北東には京都御所があります。周辺には徒歩でいける観光名所が少ないのですが、地下鉄やバスなど交通機関は比較的充実していますので、他の観光名所へのアクセスが可能です。ちなみにJR二条駅から二条城までは徒歩で15分ほどかかりますので、歩くのが嫌な方はJR京都駅からバスもしくは地下鉄をご利用ください。
JRをご利用の場合は、JR京都駅かJR二条駅で下車ください。JR二条駅からは徒歩で15分ほど。JR京都駅からは京都市バス9・50・101号系統に乗車し「二条城前」で下車ください。二条城入口の前にバス停があります。地下鉄でのアクセスは京都駅から烏丸線「烏丸御池」で東西線に乗換えて「二条城前」で下車ください。
阪急電鉄をご利用の場合は「烏丸駅」で下車ください。烏丸駅からは京都市バス12・101号系統に乗り「二条城前」で下車ください。二条城入口の前にバス停があります。
京阪電鉄をご利用の場合は「三条駅」で下車。三条駅で地下鉄東西線「三条京阪駅」に乗り換え「二条城前駅」で下車ください。
二条城には有料の駐車場が216台ほどあります。1,800円で1日券(24時間券)が利用できますので、二条城に車を置いて観光というのもよいかもしれません。京都南インターチェンジより1号線で北上し、20分程度ですので比較的自家用車でのアクセスが容易な場所です。
二条城から徒歩2分ほどには、格子屋さんという風情たっぷりの菓子屋さんがあります。「泥棒してでも食べたいほど美味しい」と言われた「どろぼう」は格子屋さんを代表する昔なつかしいお菓子です。
また二条城を南に行くと、三条商店街があります。白味噌仕立ての銘菓「祇園ちご餅」、龍馬とおりょうゆかりの武信稲荷神社などの通好みの見所があります。
二条城から堀川通りを渡ると、ど派手な金色の鳥居の御金神社があります。「おかね」ではなく「みかね」と読み、お金にご利益があり、メディアでも度々取上げられるインパクトがある神社です。
10件
6件