日蓮宗の寺である。大正7年(1918)本涌寺と妙泉寺で合併して涌泉寺と改名した。妙泉寺は、はじめ天台宗に属して歓喜寺といったが、永仁年間(1295頃)日像上人が関西に日蓮宗を広めた際、往持実眼をはじめ村民がすべて熱心に信仰するようになり、村民は説教に感激してお題目を唱えて踊ったといわれる。その踊りは「松ヶ崎題目踊り」の名で次第に有名となり、戦国時代には京都市中にもしばしば出かけ、また江戸時代のはじめには後水尾上皇も見物に行幸されたことがある。太鼓に合せて独特の節回しでお題目を唱える民族芸能であり、現在は毎年8月15、16日の両夜、本寺の境内で行われる。本寺の堂舎は天文法華一揆によって一旦焼失したが、豊臣秀吉が再興し、法華一門の学林も置かれた。山門傍らに「法華宗根本学室」と刻まれた石碑が残されている。
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