南禅寺といえば、石川五右衛門の「絶景かな」のせりふで有名な豪壮な三門が知られています。現在でも京都の絶景を見せてくれる三門は大阪の陣で戦死した家来たちの供養のために大名の藤堂高虎が寄進されたといわれ、実際には五右衛門の死後30年後に建てられたものです。
南禅寺は亀山法皇が造営した離宮禅林寺殿が始まりとなります。悪霊に悩まされていた禅林寺殿を東福寺三世の無関普門(むかんふもん)が収めたことにより、法皇は禅宗に深く帰依され、離宮を禅寺としました。その後、南禅寺は五山制度の第一に指定され、豊富な財力と権力を持ち、南禅寺はその地位を確実なものとします。
水呑みの虎で知られる狩野探幽作の「群虎図」や、俗に「虎の子渡し」と呼ばれる小堀遠州の作庭といわれる大方丈庭園など見どころも多い。また境内には京都市は琵琶湖疏水事業の一端として強制的に建設されたという疎水のアーチ「水路閣」があり、現在では観光名所として広く知られています。
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
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創建 | 1291(正応4)年 |
住所 | 京都府京都市左京区南禅寺福地町 |
TEL | 075-771-0365 |
定休日 | 12月28日~31日は休み |
営業時間 | 8:40~16:30(12月1日~2月28日) 8:40~17:00(3月1日~11月30日) |
URL | ホームページ |
南禅寺の創建は、亀山法皇が生母大宮院幾姞子の御所として造営した離宮禅林寺殿を、法皇自身の発願によって、1291(正応4)年に禅寺の龍安山禅林禅寺としたことにはじまる。
開山の無関普門(むかんふもん)と亀山法皇との出会いは、禅林寺殿での妖怪事件がきっかけとなった。その頃、禅林寺殿には道智上人といわれる死霊が現れ、禅林寺殿に住むものを悩ませていたという。
法皇はこれに対し怪異を退治する法力で有名な奈良の西大寺の叡尊(えいそん)をまねいて祈祷させたが効果がない。そこで京都の東福寺3世の無関普門(むかんふもん)を招いた。弟子20人と共に離宮に入り、清規に則り、坐禅、作務をするだけであったが妖怪はおさまった。これによって法皇は禅宗に深く帰依され、離宮を禅林禅寺とされました。
また禅林禅寺が南禅寺とよばれるのは1308(徳治3)年ごろと言われ、中国では禅が南宗禅と北宗禅でわかれていることから、二世住持の規菴祖圓は「わたくしどもの禅は南宗禅であります」と答えたことより南禅寺と改名されました。
開山の無関普門は禅寺創建の年に遷化されてしまったので、伽藍の造営は規菴祖圓によって行われました。基礎工事のために自ら土を運び、石を曳き、山門や法堂など禅宗寺院に必要な施設は規菴によって建てられました。53歳で遷化されますが、南禅寺ではその功を讃えて「創建開山」と呼ばれています。
1334(元弘4)年には中国の五山制度に倣いはじまった五山制度の第一に南禅寺は指定された。以後、南禅寺は「五山第一」として豊富な財力と権力を持ち、鎌倉時代の前半は全盛期として知られ、教学はもちろん、文学や美術の面で多元的な活躍があった。その後、明徳の大火や、応仁の乱の兵火により度々伽藍を焼失し、寺領を失ったが豊臣秀吉、徳川家康から寺領を寄進され復興される。江戸時代に入り、以心崇伝(いしんすうでん)という僧によって南禅寺の地位はゆるぎないものになる。
明治に入り広域な南禅寺の寺領は収公され多くの塔頭は合寺、廃絶を余儀なくされた。さらに京都市は琵琶湖疏水事業の一端として、南禅寺の境内に疎水のアーチを強制的に建設した。現在は水路閣とよばれ、観光名所として広く知られている。
1289 | 亀山上皇、禅林寺殿で出家 |
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1291 | 亀山法皇、無関普門を開山に迎え禅林寺殿を寺とし、南禅寺を開創 |
1292 | 亀山法皇の詔により、規菴祖圓が二世となり入寺 |
1299 | 禅林禅寺の起願文なる。小坂庄・初倉庄・宗像社が寄進される |
1303 | 無関普門に仏心禅師号が宣下される |
1305 | 亀山法皇崩御 |
1313 | 一山一寧、南禅寺に住する |
1318 | 約翁徳倹、南禅寺に住する。後宇多法皇、南禅寺に御幸 |
1323 | 無関普門に、大明国師号を贈られる |
1325 | 夢窓疎石、南禅寺に住する |
1328 | 後醍醐天皇、南禅寺に御幸。約翁徳倹に南院国師号を贈られる |
1334 | 南禅寺を五山第一とする |
1342 | 幕府、南禅寺を五山第一とし、建長寺と均等とする |
1369 | 南禅寺三門破却に着手する |
1379 | 春屋妙葩、南禅寺に入寺する |
1385 | 幕府、南禅寺を五山之上とする |
1393 | 南禅寺大火 |
1489 | 幕府、南禅寺三門造営のため坐公文十通を寄進 |
1518 | 南禅寺、永観堂と寺領を争う |
1584 | 以心崇伝、南禅寺に掛塔し、侍者となる |
1591 | 豊臣秀吉、南禅寺に朱印知行目録を下し、寺領を安堵する |
1605 | 以心崇伝、南禅寺の住持となる |
1611 | 御所より女院御所対面の御殿を下賜され、方丈とする |
1615 | 藤堂高虎、大坂陣戦死者弔料として、銀60枚を崇伝に贈る |
1618 | 崇伝、江戸に賜った屋敷(金地院)に移る |
1627 | 金地院方丈等の工事行われる。東照宮も建立される |
1641 | 御所の「日の御門」を下賜され、勅使門とする |
1730 | 韋駄天堂を建継ぎ禅堂とする |
1759 | 門前に豆腐・酒を売る店宇兵衛・六兵衛あり |
1875 | 京都府、南禅寺を癲狂院とする |
1882 | 癲狂院に使用した方丈、京都府より返還 |
1961 | 南禅寺会館建設される |
2005 | 南禅寺境内、国の史蹟に指定される |
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