大覚寺近く広沢池のほとりにある小さな神社。祭神は広沢の地に遍照寺を建立した名僧、寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)の侍児。
平安時代中期の998年(長徳4年)6月12日、寛朝大僧正が亡くなると仕えていた侍児は、悲嘆・悲泣して寛朝大僧正の後を追って、遍照寺山腹下に広がる広沢の池に身を沈めたと伝えられます。その後、近在の人々がこの児を哀れと思って、その霊を慰めるためにこの社を創建、以来児神社と称されるようになったということです。今では訪れる人も少なくひっそりとした神社です。
寛朝大僧正が座禅した際に傍らでいつも侍児が腰を掛けていたという石椅子が、境内に移されて拝殿右側に置かれています。いつの頃からか、神前で一心に祈願して、この石に座れば、必ず長命・安産・縁結びが叶うと伝えられるようになったとのこと。
ご祭神 | 寛朝(かんちょう)大僧正の侍児 |
---|---|
創建 | 不明 |
住所 | 京都市右京区嵯峨釣殿町 |
10件
2件